「なぜ日本は変われないのか」猪口孝氏インタビュー

社会・教育

 戦後、世界第二位の経済を誇ってきた日本は、2011年にGDPで中国に、2024年にはドイツに抜かれた。変化を求める「構造改革」が断続的に叫ばれてきたが、時間ばかりが経過している。なぜ日本社会はこれほどまで変われないのか、世界に取り残されないために「徳川モデル」脱却を訴える国際政治学者の猪口孝氏に聞いた。

第1回 じりじりと衰退する日本

 世界はグローバル化の時代を迎え、大きく変化しています。どの国も国内はひとつにまとまっていたかのような様相がありましたが、冷戦の終焉、さらに21世紀に入ると、技術、経済、政治、文化もグローバリゼーションの浸透が急速に深化しています。疑似鎖国体制を戦後しばらく続けていた日本も例外ではなく、ロシア・ウクライナ戦争や米国と中国の技術・貿易戦争の中で「冷戦2・0」が進展するうちに、グローバリゼーションは国家と社会を分断化し、細分化し、多国間条約体制はいささか縮小しています。

 日本社会のありようは、このグローバリズムに逆行するかのように、内に閉じこもる方向に進みつつあります。若者たちもグローバリゼーションの進む世界を舞台に活躍したいと考えるのではなく、国内でなるべくリスクを避けながら、堅実に生きることだけを志向しているかのようです。

 いわば、良くて現状維持、もしくは悪くなるのを少しでも先延ばししようという姿勢で、「変化」を極端に恐れているのです。

 なぜ、日本は変われないのでしょうか。

維新・敗戦でも変わらなかった保存主義

 日本が歴史上、大きく変わった転換点として一般に認識されているのは明治維新と戦後です。特に明治維新は、日本人にとって「きっかけは外圧ではあったが、日本人は変革の遺伝子を持っている」と感じられる歴史的事象となっています。しかし実際にはこの時でさえ、すべてを更地にして新しいシステムを作り直したわけではありませんでした。それどころか、徳川時代から現代にいたるまで、「強固な連続性」が今も存続しているのです。

 徳川時代と現代の間の長期にわたる強固な連続性を示す最も強い証拠は、1868年と1945年に起きた二つの最大の政治的出来事において、敗北した指導者である徳川慶喜と昭和天皇の両者とも命を絶たれず、長寿を享受したことです。

 私はこうした日本のありようを、西欧の文明主義(Civilizationalism by H.Kundnani)と対比して、保存主義(Preservationism by T.Inoguchi)と呼んでいます。

保存主義とは、西欧の文明主義や、アメリカの冒険主義・企業主義とは対照的なものです。口では「変わらなければ」という危機感を持ちつつも、根底のところでは変わることを忌避している。政治体制が変わるときでさえも、前体制からの一貫性を求めてしまう精神構造を指します。徳川時代、終戦を経ても士族社会・官僚社会が続いているのです。

強すぎる官僚主義と時代遅れの法律

 その証拠のもう一つは、日本では戦前・戦後を通じてほとんど変わることなく使われている法律です。1890年以降、つまり明治時代に立法された法律の多くはその時々で改正されてはいるものの、根本的には変わっていません。つまり、私たちは明治時代に制定された法律を今もって使い続けているのです。

 第二次世界大戦後、憲法は新しく制定されました。しかし、大規模な新たな立法には至りませんでした。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は東アジアでの冷戦の台頭への対処に没頭していたため、日本の国内政治は日本の中央官僚に委任された結果、法律が刷新されることはなく、基本的には大日本帝国時代に作られた法律がマイナーチェンジしながら使われることになったのです。

 例えば、刑法の強姦罪が不同意性交等罪に改正されたのは、実に2017年のことで、明治40年(1907年)の制定から百年以上たってからです。この間、人権意識や女性の権利などはもちろん、政治体制も見かけ上、変わってきたのですが、法律がそうした変化を吸収できず時代遅れになっていたのです。これは世界的に見ても先進国として恥ずべき事態です。

こうした官僚主義による「変われない」気質は、現代にまで生き残っています。私は政府の法制審議会の委員を1999年から2009年まで十年間、務めましたが、こうした議論の中で法律の専門家が口にすることと言えば「法的一貫性」ばかりでした。すでに時代遅れとなっている法律も多くあるのに、「法律そのものを広く全体的に見直して作り直す」という発想が働かないのです。

 実は、日本は国内法をすべて英語に翻訳する多国間条約に1983年に署名・批准しているにもかかわらず、2020年時点でわずか10%しか翻訳されていません。これは法律の知識と英語の語学力を持つ人材がいないことも災いしていますが、そもそも政府にも行政組織にもやる気がなく、相応の予算がつかないために遅れているのでしょうか? 条約は各国の法律の状況を比較するために締結されたものです。

英語力のなさは死活問題

 英語力のなさも日本の弱点です。特にこれからのグローバル化において、英語が読めない、書けない、聞けない、話せないの四ないづくしは死活問題と言っても過言ではありません。福沢諭吉は今も広く読まれますが、福沢が説いたのは「官僚、ビジネス、または科学のプロフェッショナルを目指すのであれば、英語力は不可欠である」ということです。しかしこの教えはあまり浸透していないようです。

 現在、米英以外で英語力の高いアジアの国と言えばインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、シンガポールやマレーシア、フィリピンなどで、これらはいずれもイギリスやアメリカの植民地になった歴史を持ちます。不幸な歴史ではありましたが、これが現在の英語力の土台になっているのです。さらに言えば、これらの国は宗主国の人権意識を下地とした法律をも制定しています。

 私はインドネシアでも客員教授をした経験があり、小学校以前はジャワ語、小学校では国語のバハサ・インドネシア語、中学高校では英語、さらに大学になるともう一つドイツ語やロシア語など3か国語をなんとか使えるのが普通です。インドでも教えた経験がありますが、公用語は英語・ヒンズー語のほか13あり、多言語に慣れているエリートが少なくありません。

 一方、日本は幸いにして植民地にならなかったことに加え、高い識字率を誇っていたことから、日本語さえ話せれば支障がない状況があまりに長く続きすぎたといえるでしょう。そのため、英語必須のグローバル時代を迎えても、潮流から遅れを取ることになったのです。

 2024年の大河ドラマ「光る君へ」で扱われているのは平安時代ですが、漢籍や漢詩がエリートの必須教養だったのです。グローバル化がここまで進んでいる現在、大学に行くような知識層であっても外国語に関心が向かないというのは恐るべきことです。

猪口孝

アルゼンチン化する日本

 日本列島に住む人々が見舞われる試練と言えば自然災害ですが、これは基本的にはじっと耐えていれば過ぎ去るものです。「耐えていれば、嵐は終わる」というマインドセットが、根底から社会を変える変革を遠ざけ、「ヘタに打って出るよりはより悪い事態を避けるためにおとなしくしておこう」という発想を生んでいるのではないでしょうか。

 私が長年、調査研究を行ってきたアジアバロメーター調査では、多くの国々が子供に求めるものとして「自立」を挙げています。しかし日本は「優しい人になってほしい」といったものが上位を占め、「自立」というフレーズはほとんど出てきません。

 このような姿勢でいては、グローバル化が進む国際社会で、日本は衰退の一途をたどることになるのでしょうか? 19世紀中葉から牛肉や小麦などを大量に欧米に輸出し、20世紀前半まで世界一の国民所得を達成したアルゼンチンは第二次世界大戦後、米国の急速な台頭に負けて現在のような難しい経済状況になりました。私は21世紀初頭に「日本は東洋のアルゼンチンになるのではないか」と言い、アルゼンチンの新聞に載ったことがあります。それを避けるための処方箋が必要です。

(取材・構成 梶原麻衣子)

<第2回 変われない日本への処方箋>へ続く

【略歴】
猪口孝(いのぐち・たかし)
1944年新潟市生まれ。東京大学大学院修士課程修了。政治学博士(MIT)、東京大学名誉教授、前新潟県立大学学長兼理事長、元国際連合大学上級副学長。英語・中国語・韓国語・ロシア語など多言語に堪能で英語の学術書が約40冊。アジア32ヵ国を対象にしたアジアバロメーター世論調査を指導。著書に『国際政治経済の構図』(有斐閣)、『「日本政治の謎」 徳川モデルを捨てきれない日本人』(西村書店)ほか多数。
猪口孝

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