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コラム グローバル・アイ 西川恵 
第2回 慰霊の非対称の解消を

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西川恵(毎日新聞客員編集委員)

 東京・北の丸公園の日本武道館で8月15日、天皇、皇后両陛下を迎えて全国戦没者追悼式が行われた。岸田文雄首相の式辞の後、参列者全員で1分間の黙とうを行い、続いて天皇陛下がおことばを述べられた。

 この1時間前、岸田首相は東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝した。正午からの全国戦没者追悼式の陰に隠れてメディアはほとんど取り上げないが、歴代首相は毎年、追悼式の前に千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝するのが慣例となっている。この事実を私たちはもっと考えるべきだと思う。

 無名戦士の墓、戦没者記念慰霊塔など呼び方は国によってさまざまだが、国賓で訪れた首脳がその国のために亡くなった人に尊崇の念を表し、献花・黙とうするのは重要な国際儀礼になっている。6月下旬、国賓で訪英した天皇、皇后両陛下も、ウエストミンスター寺院の無名戦士の墓に詣でた。

 この慰霊は相互主義になっているが、日本に限っては国賓で来日した外国首脳は日本の戦没者を慰霊できない。A級戦犯が合祀されている靖国神社には行かれず、かといって代替する施設を日本政府が用意してないからだ。1978年のA級戦犯合祀前は靖国神社に詣でた外国首脳もいたようだが、合祀以降、足を踏み入れた首脳はいない。この慰霊の非対称を私たち日本人は重く受け止めるべきだ。

 もしそういう施設があり、米大統領をはじめ外国の首脳が深々と慰霊の前で頭を垂れたなら、太平洋の島々やアジア各地の戦闘、沖縄戦、東京大空襲などで亡くなった人々の遺族の心の屈託ははるかに軽くなるだろう。戦争体験のない戦後世代も、歴史を共有してきた日本人として深く感じるものがあると思われる。

 これは2016年5月、オバマ米大統領が米大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、安倍晋三首相と並んで献花し、被爆者を抱擁した光景をテレビで見た人なら分かるはずだ。ただ残念ながら広島・長崎は全戦没者の慰霊を代替する場所ではない。

 これをどう打開するか。言われているように①A級戦犯の合祀取り下げ、②国立施設の建設、③千鳥ヶ淵戦没者墓苑―の三つがある。靖国神社は合祀取り下げに否定的だ。国立施設の建設については福田康夫官房長官のもとで2001年に懇談会が設置され、「恒久的施設が必要」との結論が出されたが、立ち消えになっている。

 個人的には国立の恒久施設が建設されるべきだと思うが、実現するかどうかも分からない。そうなると暫定的ながら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を充てるのが現実的だ。

 靖国神社で祀っているのは軍人、軍属が中心で、全戦没者ではない。しかも民間の宗教法人である。一方の千鳥ヶ淵戦没者墓苑は全戦没者を対象とし、国立・無宗教の施設として1959年に完成した。海外で亡くなった引き取り手のない遺骨も納められている。

 この竣工式に併せ、墓苑では昭和天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、全国戦没者追悼式がもたれた。まず「代表遺骨」8万7101柱の納棺の儀が行われ、各国大使、遺族代表など全員が黙とうを捧げた。昭和天皇のお言葉に続いて、岸信介首相が「戦没者の精神を象徴する聖域に立ち、故国の土に抱かれて永遠の眠りに就く戦没者の冥福を心から祈念します」と哀悼の辞を述べた。こうした経緯からも千鳥ヶ淵戦没者墓苑は全戦没者の追悼施設であることは間違いない。

 ただ墓苑を無名遺骨の「収納」場所にとどめたい靖国神社は、墓苑が建設されるに際して遺族会ともども政治力を使ってさまざまに条件をつけた。外国の元首らを招待しない、墓苑に収めるのは引き取り手のない遺骨に限る等々(1953年の覚書)。こうして性格がぼやかされ、狭められたのが現在の千鳥ヶ淵戦没者墓苑である。

 しかし冒頭に戻ると、歴代首相が8月15日の全国戦没者追悼式の前に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝している事実は重い。日本政府のトップが墓苑は全戦没者の追悼施設であることを認めている証左である。その上で、70年以上前の一宗教法人との約束に拘って、今日に至るまで外国の首脳が日本人の戦没者を慰霊する機会を封じていることが、国際社会の重要な一員である日本にとっていかに異常なことか、真剣に考えるべきだと思われる。来年は終戦80年。もはや日本人が自ら解決すべき時がきている。

【略歴】
西川 恵(にしかわ・めぐみ)
 1947年生まれ。毎日新聞テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員。フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。日本交通文化協会常任理事。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)など。
西川 恵

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