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「なぜ日本は変われないのか」猪口孝氏インタビュー
第2回 変われない日本への処方箋

社会・教育

教育を変えれば社会が変わる

 日本の問題は「変われないこと(保存主義)にある」。そうであるならば、日本にはどのような処方箋が必要になるのでしょうか。歴史を振り返り、長い射程から考えてみましょう。

 日本は島国であるがゆえに、海洋ディスタンスが機能して危機を遠ざけると同時に各国との折衝も遠ざけてきました。特に徳川時代以降、そうした姿勢やマインドが顕著になったのです。

 一方、ポルトガル、オランダ、アイルランドといった国々は沿岸国であり、海に接しながらヨーロッパ大陸での競争と紛争をも、何世紀にもわたって経験してきました。こうした小さな沿岸国は、自国の生存のために世界を見る必要があります。それはビジネス、海賊行為、または移民、征服、または植民地化であるかどうかにかかわらず、生存のために目が海と、その向こうにある世界に向けられてきたのです。

 また、東アジア・東南アジアの人々は巨大な中国と隣接していますし、南アジアと中央アジアには、ペルシャ人、トルコ人、モンゴル人、ロシア人など、強力な隣人が存在してきました。彼らは、自分たちの価値観によらず、隣人たちとの宗教的、民族的、言語的な多くの違いと対峙し、競争せざるを得ない状況にありました。

 かつての日本は、自分の都合で隣国の良いものだけを取り入れていればよかったのですが、今や地理的な条件はあらゆる事象において超えられるものになりつつあります。これだけ、ヒト・モノ・カネと情報が世界中を瞬時に行きかう中では、隣国の良いものだけをえり好みして取り入れるだけでは済まず、否応なしに悪影響も押し寄せてきます。つまり、グローバル化に背を向けては国際社会で生き延びていくことはできないのです。

 資源のない日本は、これまでにも「人材だけが日本の宝」と言われてきました。戦後のある一時期は、確かに人間の頑張りだけで世界第二位の経済大国となることができました。しかしずるずると後退を余儀なくされている現在、考えなければならないのは人材育成における「抜本的な変革」です。

教育の抜本改革を、大学改革は待ったなし

 グローバル化が未発達で日本が内需だけでも成長できた時代には、日本だけで通用する人材を育成していればそれで済んでいた面があります。海外で活躍する人材も皆無だったわけではありませんが、ほとんどの人たちが英語を使わなければならない状況、つまり必要に駆られることもなく、相応の経済の恩恵を受けることができました。

 しかし、時代は大きく変化しており、すでに日本も「英語力がなければこの先、立ち行かない」状況に至っています。にもかかわらず、日本社会からは切迫感が感じられません。

 世界のあらゆる分野で活躍するユダヤ人が教育熱心であることは知られていますが、これは「どこででも生きていける能力を身に着ける」必要に駆られていたからです。21世紀の現在、こうした能力が必要なのは何もユダヤ人に限らず、日本人であっても同様なのです。

 そのために何が必要なのか。特に大学改革は待ったなしです。大学の在り方に問題がある以上、そこを目指して行われる受験勉強、教育も間違ったものになることは不可避であり、これが日本全体の教育をゆがめているからです。まさに「学問空白社会」というほかありません。

大学入試を廃止し英語力で代替を

 あらゆるレベルで頑強に試みるべき突破口の一つは、大学入学試験の廃止と、プロフェッショナル・ビジネス・科学のキャリアにおける英語能力の醸成です。具体的には大学入試を廃止し、英語でプロフェッショナル・キャリアを積むための世界で通用する資格や試験をもって代替するという方法です。

 「大学入試の廃止」というとインパクトが強いかもしれませんが、そのくらいインパクトのあることをやらなければ、「変われない」まま中途半端なマイナーチェンジで終わってしまうでしょう。

 エネルギー資源も食料も自給率が低い日本にとっては、今後一層、貿易や投資の世界市場、法的、外交的、金融取引に関する科学的・学術的な緻密さが常に求められます。加えて社会的なコツや文化的センスが勝負を決めます。そのためには英語での議論や思考が不可欠で、もしこの能力を欠いていれば正確さとスピードを必要とする決断を下すことができません。となれば今後、日本はますます小さな国になるほかないでしょう。

 冷戦崩壊後、真のグローバル化に直面して四半世紀。日本社会が戸惑いながら過ごしてきた中で、縮み志向に陥ったことは短期的には理解できる一方、もはや縮こまっている暇はありません。グローバリゼーションは社会の最低所得層に最も深刻な影響を与えています。

 士族社会が変わらない以上、政治家一家や官僚一家など、高い階層の人たちはより変化を恐れて既得権益を守ろうとします。そのため、中長期的には、低い階層や低所得層からリスクを取り、野心的で冒険心のある、または共同体のイニシアティブを取る行動が生まれるのではないでしょうか。

専門職に英語能力試験を必須化

 日本という土地に縛られず、日本語の思考のみに縛られず、自立した個人こそがこの難局を打破するエネルギーを生むはずです。私自身、新潟県の米作地帯に生まれ育ち、「忍耐」と「持続」の保存主義者でしたが、勇気を出して米国留学を決意、21世紀の第一四半世紀に年間一冊のペースで英語の学術科学書を刊行しました。一千近くある日本の大学は、「半分は空白の瓶」のような感じがします。入るのは難しいですが、卒業してからも大学卒と非大学卒の年間所得差が大きくなく、21世紀のグローバリゼーションで疑似鎖国のような社会です。

 自分のキャリアを専門職業的なものと描いている青少年は、外国語は認定資格試験(TOEFLやIELTSなど)で大学とは別に自力で取っておくべきと思います。私自身は認定試験の存在さえ知らずに留学し、博士号も取れましたが、専門職業的なキャリアを目指す方は是非、英語によって大学時代という瓶を中身が詰まったものにしてください。

 保存主義の社会ですから、なかなか制度も思考の習慣も変わりません。保存主義で「忍耐」と「持続」でやるには、21世紀後半、学者、科学者、医師、弁護士、官僚、実業家、投資家、外交官、発明家、発見家にとって大変なものになるでしょう。なぜなら、これらの専門的職業キャリアは世界的につながりが強く、変化も速く、英語で大学生活を100%瓶に詰まったものにし、その後もさらに訓練と研鑽を積まないといけないからです。英語やその他の外国語も読める、話せる、書ける、聞いてわかることが不可欠です。学者や科学者は論文でも学会発表でも、「荒野の一騎打ち」なのです。それはビジネスのCEOでも、軍隊の最高司令官でも、国際機関のトップでも、英語は一番、キャリアには不可欠なものです。

(取材・構成 梶原麻衣子)

【略歴】
猪口孝(いのぐち・たかし)
1944年新潟市生まれ。東京大学大学院修士課程修了。政治学博士(MIT)、東京大学名誉教授、前新潟県立大学学長兼理事長、元国際連合大学上級副学長。英語・中国語・韓国語・ロシア語など多言語に堪能で英語の学術書が約40冊。アジア32ヵ国を対象にしたアジアバロメーター世論調査を指導。著書に『国際政治経済の構図』(有斐閣)、『「日本政治の謎」 徳川モデルを捨てきれない日本人』(西村書店)ほか多数。
猪口孝

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