核軍縮の現在地──
被団協のノーベル平和賞受賞に寄せて
秋山 信将(一橋大学教授)

許すまじき「核の恫喝」──
「核廃絶」諦めない 崇高な精神とメッセージ
◇はじめに
2024年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞した。この受賞は、被爆者たちが、原爆投下による直接の被害と戦後に受けた世間からの様々な差別など、筆舌に尽くしがたい身体的、精神的苦痛を伴った自らの体験―それは思い起こすことさえも苦痛を呼び覚ますものであっただろう―を、二度と誰も同じ目に遭わせたくないとの思いから世界に共有してきた彼らの崇高な精神と、「核兵器のない世界」の実現という人類の普遍的な善への大きな貢献を認めるものとして相応しいと言えよう。

被団協のノーベル平和賞授与を大きく伝える主要紙
他方、なぜこのタイミングなのかという点では、国際安全保障環境の文脈を無視することはできない。2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略は、すでに2年を超えて未だ終わりは見えていない。この戦争が国際政治に与えた影響は多面的かつ多大であるが、それらの一つが核兵器と国際の平和と安全とのかかわり方についての国際社会の認識に与えた影響であろう。戦争がエスカレートする中、ロシアが発したさまざまなシグナルが核兵器の使用に対する懸念を高め、「核の恫喝」によって紛争のエスカレーションのイニシアティブを握り、情勢を優位に展開しようとしているとの認識が広がった。その結果、核兵器使用に対する心理的な障壁が下がり、核の脅威に対し自らを守るためには核兵器に依存するしかないという考えが広く受け入れられるようになっていったのである。ノーベル平和賞委員会の言葉を借りれば、この「核のタブー」が大きく揺らぐとい厳しい国際環境が、被団協のノーベル平和賞受賞の背景にあったともいえる。
被団協に代表される被爆者の尊い努力が国際社会に認知されることはもちろん喜ばしいことではあるが、このような背景を考えると必ずしも喜んでばかりはいられないというのが現状だろう。そこで本稿では、「核兵器のない世界」を目指す動きが難航する中、この受賞の持つメッセージと、核軍縮が直面する現実的な課題について考えてみたい。
◇現代における核兵器の脅威と課題
現在、国際社会においては核兵器の存在が強く意識され、核のリスクが高まっていると認識されている。それは、1945年に核兵器が登場して以来とも、1962年のキューバ危機において核兵器使用の可能性が高まった時の再来とも言われている。
冷戦終結後、国際社会では核兵器の量的な削減や核兵器の役割の低減など核軍縮に向けた取り組みが進められてきた。アメリカとロシアは、一時期には両国合わせて7万発以上あったと言われる核兵器を、それぞれ約5500発程度にまで削減してきた(そのうち配備済の核兵器は、新START条約の取り決めにより1550発とされている)。また、2009年のオバマ大統領(当時)が行ったプラハ演説の中で、それが自分の生きている間に実現するのは不可能だとしても「核兵器のない世界」の実現を目指すと述べた部分に多くの人々が注目し、さらに、核兵器の非人道性に対する認識が高まった結果として、2017年には国連において核兵器禁止条約が採択されるなど、核軍縮のモメンタムは着実に維持されてきたと言えよう。
ただし、同時に、国際の平和と安全に核兵器が与える影響が高まっていくトレンドも同時に存在していた。大国間の戦略的対立が深刻化し、米ロ間の軍備管理レジームは危機に瀕することになった。INF条約は、ロシアによる条約違反のミサイル開発に反発した米国の脱退によって終了し、新START条約の後継条約に関する交渉も難航した。本来条約が終了するはずの2021年2月から5年間の延長が認められたものの、交渉がまとまる兆しは、ない。また米中の戦略的競争も深刻化し、その中で、NPTによって核兵器の保有が認められた5か国のうち唯一中国は核戦力の増強を続けている。中国からすれば、アメリカの影響力を排除し、自らの戦略的利益の追求を阻害されたくないということなのであろう。このように大国間の関係において核兵器の存在は着実に高まってきていた。
核兵器の存在感は、大国間だけではなく、地域安全保障のダイナミズムの中でも高まっていた。東アジアでは、中国と北朝鮮の核戦力の増強は深刻な影響をもたらしている。中国は「最小限抑止」の考え方の下で最小限の報復能力を維持し、核兵器を先に使用しない「先行不使用」と、非核国に対して核兵器を使用しない「消極的安全保証」を政策として掲げている。しかし近年、中国は核兵器の数と質を急速に強化している。2023年には運用可能な核弾頭が500発を超え、米国国防総省は、2030年には1000発以上、2035年には1500発に達するとの見通しを示している。また、大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発など、多様な運搬手段を強化し、報復能力を向上させ、それは「最小限抑止」を超え、確証報復能力を持つことを目指しているとの見方もある。さらに、早期警戒システムや警戒即発射態勢の構築は、このような従来の核態勢を超え、先制核使用も可能にする能力と警戒する議論もある。
中国はこれらの活動により、台湾有事において米国の介入を抑止し、自国の優位性を確立しようとしている。米中が戦略レベルで安定(相互抑止、相互脆弱性)が確立されると、中国による地域紛争における大胆な行動を許容しかねない、いわゆる「安定―不安定のパラドックス」的な状況が出現するリスクを増大させている。このように、増強が続く核兵器の存在は、中国による地域における強圧的な行動の後ろ盾となっていると見なされている。
北朝鮮は、米国への抑止力強化と地域レベルにおける軍事的能力の強化を目的として核開発を進めている。ICBMの射程を米本土まで拡大する努力に加え、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や戦術核兵器の運用能力を向上させている。さらに、複数同時発射や短時間での連続発射など、運用能力を強化する技術を開発している。2023年には偵察衛星を初めて打ち上げ、標的追尾能力を高める姿勢を見せている。また、戦術核の開発と運用に向けて歩みを進めていることは、単に米国に対する抑止というだけではなく、朝鮮半島有事において核兵器の使用を含む戦争計画を持とうとしていることを示威するものである。このような動きは、国際社会への挑戦であり、制裁や対話による「非核化」の取り組みが限界に直面していることを示している。米国では、先の大統領選の中で、トランプ、ハリス両候補のマニフェストから北朝鮮の「非核化」という言葉が消えたことに象徴されるように、北朝鮮に核を放棄させることは現実的ではなく、核のリスクを管理する、「軍備管理アプローチ」の政策を採るべきであるという議論が出てきている。トランプ次期大統領は、これに対抗して日本や韓国で核抑止力を求める議論が高まるなど、核を巡る不安定な安全保障状況が東アジア全体に広がっている。
また、詳述しないが、核を保有しているとみられるイスラエルと、核開発が強く疑われ、核合意の履行をめぐり欧米との対立を深めているイランが、今や直接攻撃しあうような状況に陥っており、さらに両者の関係が悪化するようになれば、イランは現在一歩手前でとどまっている核保有を実際に追求することになるかもしれない。本来的には核兵器の保有はイランが自らを国際社会において孤立化に追い込むことにもなりかねない。現在イランを陰に日に支えているロシアや中国それに非同盟諸国にとっても、核不拡散の観点からイランを支持するのか、それとも核拡散の原則を支持するのか、難しい選択を迫られよう。さらに、イランの核保有は、周辺のエジプト、トルコ、UAEといった、潜在的に地域の安全保障力学の中でイランの突出を警戒する国の核をめぐる選択に影響を及ぼす可能性もある。
◇ロシアによるウクライナ侵略と核の恫喝
このように、すでに悪化しつつあった核をめぐる国際情勢だが、2022年に始まったロシアのウクライナ侵略がそれに拍車をかけるように、核兵器の役割の低減、核軍縮に向けた国際社会の雰囲気を一層悪化させた。ロシアがウクライナに対する侵略を進める中で取った一連の行動や言説は、核兵器の政治的・軍事的な利用が現実的な脅威であるという認識を国際社会に改めて示した。
ロシアの核使用を暗示する言動(シグナル)は、ウクライナ自身の行動や戦意に対し働きかけ、あるいは米欧NATO諸国によるウクライナ支援の行動を躊躇させることで、戦況を有利に展開しようとする意図を持ってのことだと推察される。プーチン政権は核戦力の警戒レベルを引き上げや核ドクトリンの改訂、さらには紛争時にもかかわらずミサイルのテストを行うなど、軍事的・外交的な手段として核戦力を使った威嚇を行った。このような「核の恫喝」は、戦争のエスカレーションにおいて自らが優位に立つために核兵器が利用されるという、戦争のリスクを回避するための核抑止とは意味が異なる使い方のように見える。また、戦略核兵器ではなく戦術核兵器が局地戦で使用される可能性が現実味を帯びたことで、核兵器の使用が「現実の選択肢」として議論される、すなわち核使用の敷居を低下させる効果を持った。この動きは、他国における核兵器の戦術的利用へのインセンティブを高め、地域的・国際的な軍事衝突の際に核使用がエスカレートするリスクを生む。
このような核恫喝はあわせて、国際社会における核兵器の軍事的、政治的効果・効用を再認識させ、核兵器尾使用や保有への敷居を下げ、国際的な核不拡散体制を危機に陥れる危険性をはらむ。それは、言うまでもなく、「核兵器なき世界」に向けた核軍縮の取り組みに冷や水を浴びせかけるものであった。
また、非核兵器国であるウクライナが、核大国であるロシアに侵略されたという事実は、米国の拡大抑止(extended deterrence)に対する信頼性を揺るがした。ロシアが核兵器を背景に軍事侵略を行った一方で、米国やNATOは直接的な軍事介入を控えたため、一部の国々では、同盟国が核兵器の威嚇に直面した場合に米国がどこまで関与するかについて不信感が広がった。
しかも、ウクライナは、1994年のブダペスト覚書に基づき、核兵器を放棄し、その代わりに米英露から安全を保証する約束を受けていた。しかし、その約束は侵略を防ぐ抑止力として機能しなかった。この事例は、核兵器を持たない国々が大国による約束が守られないこと、それによって一気に自国の安全保障が脅かされる脆弱性に対する感受性を、世界中で高める要因となり、結果として日本や韓国を含む同盟国において、防衛戦略の見直しや核共有あるいは核保有の議論を活発化させる要因となった。ロシアは、自国の対NATO脅威を、ウクライナを「緩衝地帯」として扱うことによって緩和しようとしたにもかかわらず、自らの核の脅威が、従来NATOに加入することに慎重だったフィンランドとスウェーデンをNATOの核同盟に追いやってしまうという結果を招いたが、これは、それだけ核兵器の脅威とその裏返しとして核兵器による抑止の有効性に対する現実的な認識が高まったことを示唆していると言えよう。
◇グローバルな核廃絶への悲観論
このように、核兵器の役割に改めて脚光が当てられる格好になった大国間の対立の深刻化と地域的安全保障環境の悪化は、多国間の核軍縮への取り組みの停滞を招き、核廃絶への道筋をさらに複雑にしている。国際社会は、大国間での戦略的対立による分断、核兵器禁止条約を支持するグループとそうでないグループ(主として核兵器が自国の安全保障政策において役割を果たしている国々)の分断、それに、ロシアによるウクライナ侵略の評価をめぐり、ロシアや中国の行動を欧米中心のいわゆる「リベラルな国際秩序」に対する異議申し立てとみなして暗に支持する国々と、ルールに基づく国際秩序の維持が国際社会の安定にとって最も悪くない解であると考えるグループの分断も深刻化させた。
そもそも国際的核不拡散体制の礎石である核兵器不拡散条約(NPT)は、核兵器を保有してよい国(核兵器国)とそうでない国(非核兵器国)の間で差別が存在する条約であり、こうした力の格差を固定化しかねない国際制度に対して、非同盟諸国は不満を持っていた。さらに冷戦終結後も核軍縮が期待したほど進展していないことにフラストレーションを持つ国々は、国際法に違反した侵略行為を行ったロシアに対して非難する気持ちも持つ一方で、経済制裁によって他国に対して同調を強制するように仕向けている欧米の権力行使のあり方に対して異議を強く感じていた。こうした違和感をロシアや中国(これらの国々も本来は差別的な有利な扱いを受けている国ではあるが)がNPT場裏においても、うまく吸収する形で分断をもたらしている。こうして国際社会全体が核廃絶の目標に向けて進むための共通の基盤を築くことがますます困難になっているのである。
◇被団協受賞の象徴的意義
このような状況下での被団協の受賞は、世界の核廃絶運動の基盤を形作ってきた被爆者の存在そのものに対する評価である。2017年にICANがノーベル平和賞を受賞したが、ICANが誕生するはるか前から、被爆者が自らのトラウマも顧みず、核兵器による身体的、精神的被害、そして差別による人権侵害について語り続け、国際社会に核兵器の非人道性の認識と「核のタブー」を定着させてきた活動が、国際社会で広く認識され、その大きな意義と貢献が認められたたことを示す。
彼らの証言は単なる歴史的事実ではなく、現在も核兵器がもたらす脅威をリアルに伝えるものでもある。2023年5月に開催されたG7広島サミットでは、各国の首脳が平和記念公園を訪れて、原爆資料館を見学し、被爆者の小倉桂子さんと対話した。一連の行事を終えた首脳の表情を見れば、その意義は明らかであった。その中の一人、カナダのトルドー首相は、その後、カナダ代表団とともに改めて資料館を訪問し、代表団の他のメンバーにも被爆の実相に触れることを促したという。現実の国際政治を動かしているリーダーにとって、被爆者の話、資料館の展示は、核兵器のもたらす非人道性を政治的リーダーの思考と行動(政治的な選択)を結び付けるものであったと言えるであろう。
しかし、上述したように、国際社会における安全保障環境は悪化し、核兵器の軍事的・政治的役割への認識が高まっている。政治的リーダーは、このような脅威の高まりという現実の中で、国民に安全安心を提供する役割を担う。それは、これから直ちに行動を開始したとしても何十年の道のりを必要とする「核兵器のない世界」を唱えることで実現するものではない。彼らには、目の前に降りかかってくる核使用のリスクという火の粉をどのように払いのけ、そして核拡散という延焼のリスクを食い止めることが求められている。
核のリスクが直接降りかかってくるのを避けるには、それをよけるための傘としての核抑止、拡大核抑止の有用性について考える必要があるだろう。ただ同時に、我々は、核抑止による安心は、永続的な安心ではないということも理解している。厳しい安全保障環境の下で、その信頼性を確保することは一時的に安心を提供するが、脅威、リスクの根源に対してどのようなアプローチをとるべきか、その手段を提供してくれるわけではないことにも思いを致すべきだ。
こうした文脈から見れば、被団協の受賞は、核廃絶への目標を諦めてはならないという強いメッセージを世界に発信する。核使用の現実性が増す中で、この受賞は「核のタブー」を再確認し、人類が目指すべき未来の姿としての「核兵器ない世界」という理想を改めて提示している。厳しい安全保障環境の中で、目の前の現実への対処に追われて未来を語らなくなった我々に、平均年齢85歳を超える被爆者が共有する生身の体験が伝えるものは、希望を語り続ける意味である。「核なき世界」のフレーズで脚光を浴びた2009年のプラハ演説の中で、オバマ大統領は「核なき世界」実現の見通しについて、自分の生きている間には実現しないだろうと述べている。おそらくその見通しは間違っていないだろう。だが、そのような見通しを、諦念をもって語るのではなく、それでもなおあるべき未来に向かって希望を紡ぎ、議論し、行動することの意義を、今回の被団協のノーベル平和賞受賞は改めて我々に示しているように思えるのである。

秋山 信将(あきやま・のぶまさ)
一橋大学法学部教授、日本国際問題研究所軍縮・
1967年生まれ。行政学修士(コーネル大学)、博士(法学・一橋大学)、広島市立大学広島平和研究所専任講師、日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター主任研究員などを経て現職。法学研究科と国際・公共政策大学院の教授も務める。専攻は国際レジーム、軍備管理・軍縮、安全保障、不拡散、国際政治など。主著に『核不拡散をめぐる国際政治:規範の遵守、秩序の変容』(有信堂高文社)、『国際政治学をつかむ』『パワーから読み解くグローバル・ガバナンス論』(共著・いずれも有斐閣)、『核テロ: 今ここにある恐怖のシナリオ』(共著・日本経済新聞出版)、『NPT 核のグローバル・ガバナンス』(編著・岩波書店)など多数。