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追悼 長嶋茂雄さん 時代と生きた国民的ヒーロー
小林 信也(作家・スポーツライター)

1968(昭和43)年9月16日の対中日戦〔後楽園球場〕で空振りし、ヘルメットを飛ばした長嶋さんの写真と、74(昭和49)年10月14日の引退セレモニー〔同〕で、長嶋さんが発した名言を再録するスポーツ各紙=中澤雄大撮影

戦後80年

天覧試合で「みんなの長嶋」になった背番号3

◇実感のない長嶋伝説──追悼番組に違和感
 <長嶋茂雄さん逝去>に伴う追悼報道を見て、不思議な感慨をふたつ抱いた。
 ひとつは、長嶋選手の現役時代を知らない世代、監督時代さえ見ていない世代が追悼報道を担当しているのだろう、ずいぶん実感のない長嶋伝説が多いことに驚かされた。それほど昭和世代には当たり前でしかなかった<長嶋の時代>はもう遠くなったのだ。

35年間にわたって「セコム、してますか」と同社のCMに出演。東京ドームの大看板では感謝が伝えられた

 時代の空気の中で長嶋茂雄は国民的ヒーローになった、その背景を抜きに長嶋は語れない。その前提さえも押さえない報道が多かった。長嶋はこんなすごい野球選手だった、こんなに明るい人だった、それだけ見ると大谷翔平選手にははるかに及ばないし、ホームラン世界記録を達成した王貞治さんの方が遥かに偉大な印象を否めない。あの落合博満さんは、長嶋監督に請われて中日ドラゴンズからFAで巨人に入団した1994年キャンプイン直前、私の取材に応えてこう話した。

 「オレは長嶋さんよりたくさんホームランを打っている。長嶋さんは三冠王を一度もやっていない。オレは3回獲った。だけどさ、いくらオレが記録を重ねても、長嶋さんには絶対敵わない。長嶋さんはそういう人」

 敬意とも、嘆きともとれる言い方で長嶋茂雄の存在感を語った。その落合さんの言葉を「それは謙遜だよ」「決して落合だって長嶋さんに負けていない」と否定するファンは残念ながら<長島世代>にはいないだろう。「そうだよね、長嶋さんはいくら記録を重ねても抜けないよね」と、誰もが落合さんに同意する。

 打者として「落合の方が上だ」と言う人は少なくないだろうが、「落合の方が長嶋よりすごい」とはなかなか言ってもらえない。それほど大きな存在。だから、追悼報道でいくら長嶋の快打を伝えても。守備や走塁の派手なアクション、コミカルな表情を伝えても、長嶋人気の核心は伝わらない。

◇神聖な天覧試合の前夜……「明日はなんとか打たせてください」と祈った長嶋
 その核心とは何か? 突き詰めるなら、1959(昭和34)年6月25日、後楽園球場で行われた巨人・阪神戦。天皇・皇后両陛下が初めてプロ野球を観戦された、史上初の天覧試合に尽きるだろう。皇居から北の夜空を眺めて昭和天皇が「あの光は何か?」と尋ねられた。侍従が、いま国民に人気のあるプロ野球のナイターの灯りです、と答えると、「夜でも野球はできるのか」と陛下が関心を示された。その話がプロ野球関係者に伝わって開催が実現したといわれる。

天覧試合の結果を報じる『読売新聞』1959年6月26日付朝刊運動面

 スランプに陥り、6月に入って打率を1割以上も落としていた長嶋は、
 (天皇陛下に素晴らしい試合をお見せしたい、明日はなんとか打たせてください)
 布団の上で頭を下げ、枕元にバットを置いて床に入った。しかしなかなか寝付けなかったと半生記の取材で直接聞いた。
 巨人・水原円裕のぶしげ(茂)監督は試合の朝、二度も水風呂に入って身体を浄めた。左翼線審に抜擢された27歳の富澤宏哉ひろやも、やはり水風呂に入って身支度を整えたと、これも直接取材で聞いた。

 天皇陛下が球場で試合をご覧になる。それは、いま大半の日本人が想像もつかないほど神聖な、そして身に余る光栄と誰もが感じる<事件>だった。

 あれから66年が経って、そのことを説明しても理解できないほど社会の空気は変わった。人々の認識や価値観が変わった。あの頃の日本の空気、人々の心の持ちようを伝えることが難しいと知ることは、私にとって静かな衝撃だった。昭和世代が大切に思っていたことが、いまを生きる大半の世代には通じない。それを鮮やかに感じさせてくれた長嶋逝去報道だった。

◇理屈抜きの感謝が日本中にあふれた日
 その天覧試合は劇的なフィナーレで突然、幕を閉じる──。4対4の同点で迎えた9回裏、巨人の攻撃は4番長嶋から。すでに夜9時を回り、両陛下が席を立たれる予定時刻が迫っていた。私は日本テレビの実況中継ディレクター・後藤達彦からその時の焦燥を聞いている。後藤は放送時間延長を電話で本社に懇願すると同時に、長嶋が打席に立つ時、どうか陛下がロイヤルボックスに座っておられますようにと祈る思いだった。それは国民の多くが望んだことだった。
 (天皇陛下の喜ばれる顔が見たい)
 阪神のマウンドには、7回途中から小山正明をリリーフした新人・村山実。2ボール1ストライクからの4球目、村山の決め球フォークボールが低めに決まった。長嶋のバットが動き、空を切った。三振! ところが主審の島秀之助はスイングを認めず、ボールと判定した。5球目。内角球を長嶋はレフト席に打ち込んだ。会心のサヨナラホームラン。三塁を回り、ホームベースを踏んだところで長嶋はロイヤルボックスの天皇陛下を見上げ、挨拶した。陛下は帽子を取り、身を乗り出されて長嶋を迎えた。その光景に日本中が感銘を受けた。
 「長嶋、ありがとう!」
 理屈抜きの感謝が日本中にあふれた。長嶋、ありがとう! その強い気持ちはほとんど国民の総意と言ってもよかった。その時、長嶋茂雄は<みんなの長嶋>になった。
 そういう時代、そう感じさせる世相だった。だからこそ長嶋は、球団を超え、競技を超え、誰からも愛される存在になった。長嶋自身も、人々を喜ばせることが使命、天職だと自覚し、生涯それを全うし続けた。

『読売』をはじめ、一般紙が一面トップで伝えた長嶋茂雄さんの訃報=中澤雄大撮影

東京ドームの「長嶋ゲート」=中澤雄大撮影

◇誰もが笑顔にした「国民の太陽」
 最後になったが、私が抱いた感慨のもうひとつは、長嶋逝去を聞いてカメラを向けられた元選手や関係者たちの誰もが、競うように長嶋さんの愉快・痛快な思い出話を語り、普通ならそう言いながらも涙が混じるシチュエーションのはずなのに、気がつくとその周りにいる誰もが心から笑顔になってしまっていることだった。亡くなってなお人々を笑顔にする、それが国民の太陽・長嶋茂雄。

東京ドームの「長嶋ゲート」脇のレリーフ=中澤雄大撮影

 監督を解任〔註1〕され、浪人生活を送っていた長嶋さんを、いまこそ僕らファンがエールを送り励ます時だと、編集者たちと意気投合して出版したのが『長嶋茂雄語録』=写真㊦=だった。長嶋さんの言葉と写真だけで構成したこの本のお礼に伺った時、長嶋さんはひと言、真面目な顔でこうおっしゃった。

長嶋さんが喜んだという小林さんが編んだ『長嶋茂雄語録』(シンコーミュージック・エンタテイメント、1983年刊)

 「この本だけはうれしかった」
 最高の賛辞、破格な謝辞。そういう特別な表現を咄嗟とっさにされる。その後、ローマ法王に謁見えっけんした時、世界的歌手のフリオ・イグレシアスに会った時も名刺代わりにこの本を渡されたと聞いた。
 例えば大谷翔平と長嶋茂雄を比較することに意味はない。長嶋はアイドルでなく、心の友だった。分野を超え、世代を超え、国民に愛される、いわば庶民にとっての<国民の象徴>。心をつなぐ太陽だった。

セコムのCMで共演した長嶋さんと大谷選手(セコムHPより)

 長嶋茂雄のような存在が必要とされ、期せずして誕生したあの戦後の復興期。いまそのような存在が出現することは想像できない。長嶋を超える国民的存在は、いまの時代からはもう生まれないだろうし、現れない時代こそが健全と言えるのかもしれない……。そんなことをあと数日、思いめぐらせてみたいと思う。

 6月25日夜9時10分。あのサヨナラホームランが飛び出した時刻に、静かに夜空を見上げて献杯し、「長嶋さん、ありがとう!」と心の中で叫ぼうと考えている。その時、何かこれから生きる勇気や道筋が浮かび上がってくればいいなと、ぼんやりと願っている。
 「長嶋さん、ありがとう。これからも、よろしくお願いします」

〔註釈〕
註1=1980(昭和55)年は61勝60敗9分け(5割4厘)で、首位・広島東洋カープに14ゲーム差の3位に沈んだ。2リーグ体制発足後初めて3年連続でセ・リーグ優勝を逃して退任に追い込まれ、10月21日に退団会見に臨んだ。その後12年間の充電期間を経て93(平成5)年、13年ぶりに巨人監督に返り咲いた。

【略歴】
小林 信也(こばやし・のぶや) 作家、スポーツライター
1956年、新潟県長岡市生まれ。慶大法学部卒。県立長岡高校硬式野球部時代はエースとして、春季新潟県大会を優勝に導いた。文藝春秋『SportsGraphic Number』編集部などを経て独立。本格的に著述活動を始め、テレビやラジオでも活躍。現在は『週刊新潮』「アスリート列伝 覚醒の時」などを連載中。最新刊『大の里を育てた<かにや旅館>物語』(集英社インターナショナル)。他に『宇城憲治師直伝「調和」の身体論 武術に学ぶスポーツ進化論』(どう出版)、『少年 大谷翔平「二刀流」物語』(笑がお書房)、『天才アスリート  覚醒の瞬間』(さくら舎)、『能生仕込み相撲道 海洋高育ち力士のいま』(新潟日報メディアネット)など多数。詳細はHP「小林信也の書斎」 、YouTube「小林信也チャンネル」。

[長嶋茂雄さんを描いた小林さんの著作]

編著『長嶋茂雄語録』(河出書房新社、旧刊はシンコーミュージック・エンタテイメント)

著書『長嶋茂雄 永遠伝説』(さくら舎)

編著『伝説の長嶋茂雄語。』(小学館)

編著『長嶋茂雄からのメッセージ』(東邦出版)

著書『長嶋はバカじゃない』(草思社)

著書『長嶋茂雄 夢をかなえたホームラン』(ブロンズ新社)

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