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韓国紙初の日本人特派員が見た日韓関係(上)
大貫 智子(『中央日報』東京特派員)

日本人初の韓国三大紙『中央日報』東京特派員となって今春で1年。日韓関係ニュースの深堀りが期待される大貫智子記者の入社を大きく伝える記事(『中央日報』2024年3月27日付より)

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 過去の植民地支配や歴史認識問題などを抱える日本と韓国は長年「近くて遠い国」と形容されてきた。しかし21世紀初頭に起きた日本での韓流ブームを皮切りに人的往来も激増するなど、今や両国は「切っても切れない近い国」に変貌した。日韓基本条約の締結から今年6月で満60年。東アジアにおける経済貿易の相互依存は深化を遂げ、安全保障環境も様変わりするなど両国関係は一層緊密化し、ともに発展してゆくことが求められよう。メディア界でも小さくない変化が生じつつある。日本の大手新聞社から初めて、韓国を代表する『中央日報』東京特派員へと転身した大貫智子氏から、両国関係の現在地を2回にわたってリポートしてもらう。

日韓は共通課題を抱える対等なパートナー

◇韓国メディアの一員として取材執筆する日々
 隔週月曜日午前11時から、東京・南麻布の駐日韓国大使館1階会議室で、韓国メディア各社の東京特派員を対象にオフレコでのブリーフィングが開かれる。日本の政治、経済の現状や日韓関係に関して、まず大使館の中堅幹部が説明し、その後に質疑応答がある。

韓国憲法裁判所前で尹錫悦大統領の弾劾に反対する人々の集会。「NO CHINA」と書かれた旗もあった=3月11日、大貫智子撮影

 4月7日も、いつものようにブリーフが実施された。ただ、これまで壁にかけられていた一つの額縁が消えていた。ここには通常、国家元首である時の大統領が微笑む写真が飾られている。壁に残されたフックだけが目に入る。尹錫悦ユンソンニョル氏が4日に憲法裁判所で罷免されて大統領が不在となったことを実感した。韓国政治の最前線を日本にいながらにして感じられるのは、韓国メディアの一員となったからに他ならない。

駐日韓国大使館ブリーフルーム。左前方の壁上部にフックだけが残されている。ここに尹錫悦前大統領の写真が掲げられていた=4月7日、大貫智子撮影

◇「親日」批判を乗り越え、『中央日報』が日本人記者を採用した理由
 私は2024年3月10日付で24年間勤めた毎日新聞社を退職し、翌日から韓国紙『中央日報』東京特派員として勤務している。多くの方から、なぜ韓国紙へ移ったのかと質問を受けるので、まず簡単に説明しておきたい。
 『中央日報』は、『朝鮮日報』『東亜日報』とともに韓国の三大紙の一つだ。韓国では、この三紙の頭文字を並べて「朝中東チョチュンドン」と称される。いずれも保守系で、『中央日報』は「中道保守」を自任している。

 三社のほか、大手通信社『聯合れんごうニュース』などは日本語サイトがあり、記事を目にしたことのある読者も少なくないだろう。一方、日本の大手紙で韓国語サイトを持っている社はない。それだけに、韓国の方が日本に対してオープンマインドのように見えなくもない。各社とも日本人を含めた外国人の視点を重視しており、私も『毎日新聞』ソウル特派員時代に、『中央日報』日曜版に1年半にわたってコラムを執筆した。

 しかし、それはあくまで外からの視点であり、正社員として記事を執筆する外国人記者はいなかった。次稿で詳述するが、韓国メディアは「大韓民国のあるべき、進むべき道を示す」というナショナリスティックな政治性を伴っているからではないかと思う。

 後に耳にした話では、冒頭で記したブリーフに日本人記者が出席することについて、大使館側にも他の記者たちの間でも戸惑いがあり、私の入社を前に対応を協議したそうだ。韓国メディア所属とはいえ、日本政府に情報を流されるのではないか、というスパイ疑惑があったということだろう。特に日本と韓国は過去の歴史的経緯がある。『毎日新聞』では、在日コリアンの記者は珍しくなくなっているが、韓国メディアで日本人を記者として採用すれば、否定的なニュアンスである「親日」との批判を浴びるだろうことは想像に難くなかった。

 にもかかわらず、『中央日報』はなぜ日本人記者を採用することにしたのか。
 最大の理由は、日本の政治、経済、社会、スポーツなどさまざまなテーマを深掘りする記者が必要ということだった。特派員の朝の主要任務は、現地メディアにざっと目を通すことだが、翻訳機能が発達した現在、日本メディアの記事は韓国の誰もが簡単に読むことができる。それにとどまらず、日本人独自のネットワークを生かして、日本の今をリアルに伝えてほしい、というのが私への提案だった。両国の外交懸案について、どう報じるべきかという悩みを抱えながらも、「解決策を一緒に考えていこう」という会社の姿勢に共感し、踏み出してみることにした。

◇覚悟した“嫌がらせ”メール……変化した日本への視線
 韓国紙はすべての記事に署名が入る。韓国人のフルネームの多くはハングルで3文字だ。私の場合はハングルだと6文字になり、ただでさえ目立つ。しかも、『中央日報』では署名の後にメールアドレスが付されている。以前、同紙の友人から、誹謗中傷のメールが多数届くと聞いたことがあったので、私の場合は相当来るだろうと覚悟していた。

ソウル市内のカフェ「キョウベーカリー」。日本語の「きょう(今日)」からとったもので、当日生産、当日販売をうたっている。日本語は韓国人の日常生活に馴染んでいる=3月9日、大貫智子撮影

 ところが、驚くことに入社して1年が過ぎた現在に至るまで、1通も来たことがない。記事へのオンラインでのコメントを時々チェックしてみると、日本人記者だからという理由での拒否反応もなかった。過去1年間、日韓関係が基本的に良好だったということもあるかもしれない。ただ、韓国人が日本を見る目が変化しているという点が本質ではないかと感じる。歴史問題などセンシティブな政治問題は依然として存在するものの、日本は「手を携えるべき同志国」という認識が広がっている。

 日本政府観光局によると、24年に日本を訪れた韓国人は過去最高の約882万人に達した。国内旅行のような気軽な旅先となり、肌で日本を知る韓国人が増えている。また、かつてのような経済的なギャップは解消されており、気負うべき相手ではなく、共通の課題を抱える対等なパートナーとしての関心が高まっていると言える。韓国ギャラップが23年10月に発表した世論調査によると、「最も好きな国」という問いに対し、19〜29歳は「日本」という回答が米国、豪州、カナダに続く4位の8%に上った。

 「最も嫌いな国」という問いの推移は、より興味深い。この調査は約10年単位で実施されており、日本は02年33%、12年44%と断トツのトップだった。しかし、23年は24%で2位に転じた。対照的に浮上したのが中国だ。02年は5%で4位、12年は19%で2位、23年は34%に上ってトップとなり、日中の非好感度が逆転した。

 実際、私が13年にソウルに赴任した当時、韓国では中国に対し、政治、経済、文化などあらゆる側面で熱い視線が送られていた。ところが16年の韓国のTHAADサード(高高度防衛)ミサイル配備決定を受けた中国の事実上の報復措置や、韓国での大気汚染の深刻化、新型コロナウイルスをめぐる中国政府の対応など、さまざまな要因から若年層を中心に年々反中感情が高まっている。6月3日に実施される大統領選でも、こうした世論の推移は各候補者に影響を与えるだろう。

◇人気のテーマは「受験」「少子化対策」「大谷」
 このような韓国の変化は、記事のアクセス数からも読み取れる。私が『中央日報』に入社してからの1年余りで、日韓の外交懸案となったのはLINEヤフーの資本関係見直し問題や、佐渡島の金山の世界遺産登録を受けた慰霊祭などだった。いずれも他の記事と比べて、目立ったアクセスがあったわけではなかった。

ソウルでのMLB開幕戦に合わせ、市内の百貨店では関連グッズの特設コーナーもお目見え。大谷翔平選手の活躍は韓国でも注目の的=2024年3月17日、大貫智子撮影

 日本関連では、受験や少子化対策、大谷翔平選手に関するニュースの方がはるかに関心は高い。私が書いた記事で最も多く読まれたのは、23年夏の全国高校野球選手権大会で107年ぶりの優勝を果たした慶應義塾高の1番打者だった丸田湊斗みなと選手への、野球と学業の両立に関するインタビューだった。

 幼少期から激しい受験競争を強いられる韓国では、スポーツをしている高校生はプロを目指すごく一部の選手にとどまり、大多数の生徒たちは受験勉強に専念する。日本のような部活動は存在しない。韓国では「文武両道」に該当する概念や言葉がない。このため、興味深く読まれたようだった。「韓国も学業とスポーツが両立できるようにすべきだ」というコメントが複数あった。

◇文化や社会的背景の差異が、時に国家レベルでの対立に発展も
 私は他の韓国人記者と異なり、日本語で初稿を書いた方が早いため、これを韓国語に翻訳するという2段階で記事を執筆している。ネイティブの同僚のサポートを得ながら翻訳したり、デスクが手を入れた原稿を見たりすると、上記の例のように文化や社会的背景の違いに気付かされることがある。こうした違いは、時に誤解やすれ違いを生み、国家レベルでの感情的な対立にまで発展することがある。韓国で政権交代の可能性が指摘されている中、日本のリアルな姿を分かりやすくかみ砕いて韓国の読者に伝えることの重要性が増していると感じる日々だ。
 では、日本と韓国のメディアの違いはどのようなものか。次稿で詳しく触れたい。(次回は24日公開)

【略歴】
大貫 智子(おおぬき・ともこ) 1975年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2000年毎日新聞社入社。前橋支局、政治部などを経て13〜18年、ソウル特派員。24年3月から韓国紙『中央日報』東京特派員。著書に小学館ノンフィクション大賞受賞作『愛を描いたひと──イ・ジュンソプと山本方子まさこの百年』(小学館)、共著に『日韓の未来図──文化への熱狂と外交の溝』(集英社)、『韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる──AI時代に「ことば」ではたらく12人』(朝日出版社)。

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