一水四見 多角的に世界を見る
小倉孝保

パレスチナ国旗を振るガザの少女たち

コラム

第12回 転換期の欧州・イスラエル関係

 欧州にとってイスラエルは特別な国である。
 ドイツのヒトラーが政権をとった1933年から第二次世界大戦が終わるまでの12年間、ユダヤ人は人権をはく奪され、命の危険にさらされた。助けを求めるユダヤ人に対し、欧州各国は支援の手を十分差し伸べなかった。「罪」を思い起こさせる存在がイスラエルなのだ。

 その欧州で今、イスラエルへの外交姿勢に変化が起きている。パレスチナ自治区ガザ地区に対するイスラエル軍の攻撃があまりに激しいためだ。「イスラエルの存立と安全のために立ち上がることは我々の使命だ」と考えるドイツまでもが批判している。
 イスラエルとイスラム組織ハマスの紛争は2023年10月に始まった。今年1月、一旦停戦に合意したものの、約2カ月後に戦闘が再開された。

 ガザは3月2日から約80日間、イスラエルによって封鎖され、食料など支援物資が届かなかった。住民の多くが栄養不足に陥り、乳幼児は餓死に直面している。
  こうした一般住民を苦しめるイスラエルの対応に、欧州各国は批判のトーンを強めた。英仏とカナダは先月、「ガザでの苦悩を容認できない」との共同声明を出した。
 声明に加わらなかったドイツも、メルツ首相が「民間人に対する被害の規模はもはや正当化できない」と述べた。

◇フランスがパレスチナ国家承認か
 具体的行動に出る兆候もある。英国は5月20日、イスラエルとの貿易交渉を停止すると発表したうえイスラエル大使を呼び出し、抗議した。占領下にある、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者への制裁も決めた。
 スウェーデンはイスラエル閣僚らに対し制裁を課すよう、欧州連合(EU)に求め、EUはイスラエルとの自由貿易協定の見直しに着手した。
 さらにフランスのマクロン大統領は、地元メディアとのインタビューで「(パレスチナ国家の)承認に向けて前進する必要がある。数カ月以内にそうする」と踏み込んだ。
 6月10日には、英国とカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ノルウェーの5カ国がイスラエルの極右2閣僚に対し、入国禁止と資産凍結の制裁を科した。ベングビール国家治安相とスモトリッチ財務相は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸でのパレスチナ人に対する暴力を扇動したとされている。

 イスラエルのネタニヤフ首相はこうした欧州の動きを「誤った側に立っている」と批判し、ガザ全域の支配を目指している。

フランス国旗と欧州旗

 1933年に政権をとったドイツのヒトラーはあらゆる手段でユダヤ人を迫害し、強制収容所で約600万人を虐殺(ホロコースト)した。迫害から逃れたユダヤ人たちが目指した先の一つがパレスチナであり、イスラエルはことあるごとに「ホロコーストの被害者」としての立場を表明してきた。
 ホロコーストの責任はドイツだけにあるわけではない。フランスはビシー政権が国内のユダヤ人を国鉄で収容所へ輸送している。オランダやチェコなど、ナチスが占領した地域では、それぞれの官僚組織がホロコーストに協力した。
 英国を含む欧州各国は、迫害を知りながら、ユダヤ人へのビザ発給を制限し、命を救う手立てを講じなかった。この問題で欧州は加害者意識から自由になれないのだ。

 1948年5月にイスラエルが建国された際、英国のチャーチル前首相(当時は野党・保守党党首)は下院でこう祝福している。
 「一世代や一世紀ではなく、千年、二千年、あるいは三千年という視点でとらえるべき世界史的出来事である」

 以来、ユダヤ人国家の立場を擁護してきた欧州が、なぜ厳しい姿勢に転じているのか。一つには、イスラエルのネタニヤフ政権が、パレスチナとの2国家共存に否定的な姿勢を示していることへの不満がある。2国家共存は国連安全保障理事会決議でも定められている。
 さらに、各国とも第二次大戦を知らない世代が社会の中心になり、過去よりも現在や未来に目を向けるべきだとの声が高まっていることもある。戦後イスラム教徒の移民が増加し、パレスチナ側への同情が強まった面もあるだろう。
 ニューヨークの国連本部では来週火曜(6月17日)から3日間、イスラエル・パレスチナ紛争解決に関する会議が開かれる。サウジアラビアと共同で会議を主催するフランスが、この場でパレスチナ国家の承認を宣言する可能性も高まっている。
 戦後80年の今、欧州・イスラエル関係は歴史的転換点を迎えている。

 

【略歴】
小倉 孝保(おぐら・たかやす) 毎日新聞論説委員
1964年生まれ。毎日新聞カイロ、ニューヨーク、ロンドン特派員、外信部長などを経て現職。小学館ノンフィクション大賞などの受賞歴がある。新著に『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社)。

ピックアップ記事

関連記事一覧