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父ドナルド・キーンの「足跡」をたどる旅 (上)
キーン 誠己(一財 D・キーン記念財団代表理事)

ニューヨークの自宅で資料に没頭する在りし日のキーン博士=2011年7月12日、キーン 誠己撮影

社会・教育

米ニューヨーク コロンビア大学を訪ねて──

◇父が遺した膨大な書籍、書簡……
 ドナルド・キーン(1922─2019)とは何者か? と問われたら、私は次のように答えるだろう。

 たぐい稀な日本文学研究者として古典から現代までの日本文学を翻訳し、世界へ生涯発信し続けた恩人であり、米海軍将校として悲惨な戦争を間近に見た体験から「日米の懸け橋」となった平和主義者である。世界的に知られるコロンビア大学の学者であり、多くの優れた教え子に恵まれた教育者で、しかもユーモアと魅力に溢れた人格者だった。さらには下町の情緒を好み、ニューヨークと往復しながら東京・北区のマンションに45年間もの長きにわたって暮らした。音楽やオペラを愛してやまない生粋のニューヨークっ子でありながら、あえて晩年に帰化して日本人になることを選んだ……そんないくつもの像が鮮やかに浮かび上がる。

ニューヨークの自宅書棚で資料を探すキーン博士=2011年7月13日、キーン誠己撮影

 私は2006年にドナルド・キーンと知り合い、11年から寝食をともにし、12年に養子となり、19年2月24日に最期を看取った。時代は平成から令和になる二カ月前で、96歳だった。父は生涯にわたって私のことを「淺造あさぞう」と呼び、私は親子の縁を結んだ日からキーン先生から「お父さん」と呼ぶようになった。ちなみに淺造とは、私が25年間人形浄瑠璃文楽座で三味線を弾いていた時の芸名である。

 正式に養子になってから、将来はドナルド・キーンの顕彰を行い、膨大で貴重な資料を整理管理していくのは私なのだろう、と漠然と思っていたが、実際に父が亡くなると同時にその責任と重さを感じるようになった。その死から一カ月半後の4月10日にお別れの会が終わり、追悼文集の編集作業などをしながら、顕彰ではなにをすべきか、膨大な書籍、生原稿、書簡、写真などの資料をどのように整理、リスト化していくべきかなど周囲の方たちの意見を聞きつつ、私なりに暗中模索した。先の見えない目標に向かって歩み始める過程で、私ひとりではなく組織で取り組むべきだと考え、20年5月に「一般財団法人ドナルド・キーン記念財団」を設立した。

 父の生前、承諾を得て一つだけ始めていたことがあった。マンションの部屋のあちこちに保管していた生原稿の取り扱いのことである。紛失したものもあるだろうけれど、父が極力、生原稿(そして写真なども)を大切にしてくれていたことに感謝したい。かなりの量にのぼった生原稿を、大学教授の職を退いて間もなかった私の義兄がある程度整理してくれた。それはダンボールに二箱は優にあった。しかし、これはほんの一部で、次々に出てくる様々な資料、品々を見るだけで、その多さに唖然とするというよりは、むしろそれぞれのもつ意味や魅力に心を奪われ、時に父と対話をしている喜びさえ感じることがあった。

ニューヨークのハドソン川を見下ろす自宅で、原稿に目を通すキーン博士=2011年7月2日、キーン誠己撮影

 父が一つ一つなにか言葉をかけてくれるようであり、想像をかきたてられるのだ。書籍、生原稿などだけではない、愛用していた文房具(使い古して短くなった鉛筆一本、鉛筆の削りカスさえも)、書画骨董や心をこめて全国津々浦々でコレクションした陶器、身に着けていた衣類にいたるまで捨てることのできない宝物と言っても過言ではなかった。抽斗ひきだしを整理していた時、底から父の爪の切れ端が現れ、ちょっと驚いた。思えば父は抽斗を開けたまま爪を切る癖があったのだ。その切れ端を丹念に集めて大切に保管したことは言うまでもない。

 それはいつ終わるともしれない根気と時間を要する仕事ではあるが、徐々にリスト化を進めつつある。コロナ禍が終息しつつあった22年は「ドナルド・キーン生誕100年」にあたり、県立神奈川近代文学館でそれらの資料を展示することができた。それを契機に毎年二、三カ所の文学館や博物館、図書館で大小のドナルド・キーン展を開催するのも大切な顕彰事業だと考えている。いずれも財団や私だけではできることではなく、周囲の方たちや組織・団体の多大な協力や援助のあってのことだ。

川端康成の献辞を読むキーン博士=2011年7月2日、キーン誠己撮影

◇コロナ禍を経て作家らの書簡類を本格調査へ
 いささか前置きが長くなった。今年2月3日に米ニューヨークに入り、14日に帰国の途につくまで、コロンビア大学の図書館で都合6日間、一日3時間、計18時間にわたってコロンビア大の「C.V. Starr East Asian Library」(「C.V.スター東亜図書館」と称されるが、父は「東亜図書館」と言っていたので以下、東亜図書館で統一)に籠り、父の関連資料を調査してきた。

 東亜図書館は、東アジア関係の100万冊以上の蔵書を所蔵するという米国有数の東アジア研究のコレクションである。日本語書籍は、父の恩師である角田柳作つのだりゅうさくによって基礎が築かれ、その後は角田の業績を継ぎ父も大いに貢献したと思われる。図書館の中央の壁には父を顕彰するための肖像入りのプレートも掲げられていた。

コロンビア大C.V.スター東亜図書館に掲げられたキーン博士を顕彰するプレート=キーン誠己撮影

 私はこれまでも、父が亡くなった2019年の9月20日~10月9日、11月7日~22日までの二回、コロンビア大学の偲ぶ会やニューヨーク商工会議所の記念賞受賞などのためにニューヨークへ赴いたが、その頃から父が寄贈した作家たちの書簡の調査を始めていた。ただ、当地では大学関係者や教え子、父の友人たちに会ったり、ブルックリンの父の卒業した高校や住んでいた家を訪れたりするなどの所用に多くの時間を費やさざるを得ず、思ったほど調査は進んでいなかった。

 父の故郷でもあり長年勤めたコロンビア大学のあるニューヨークには、父が元気だった頃に一カ月ほど一緒に訪れ、東京に完全に居を移した2011年以降も毎年必ず帰省した大切な土地でもある。父から受け継いだ大切な人間関係もあった。その後も毎年調査のため足を運ぶつもりだったが、コロナ禍のためにそうはいかなくなった。ようやく沈静化した22年12月5日~14日まで3年ぶりに滞在し、ようやく計画的に作家たちからの書簡を調査し、写真撮影を始めることができた。その後二年間の空白を経て、今回二度目の本格調査となったわけである。

管理体制が厳しくなった大学図書館を訪れた筆者=2025年2月6日

◇「自由の象徴」でとても厳しくなったセキュリティ
 残念なことにコロンビア大学と東亜図書館では、これまでに経験したことのない事態が生じていた。スプリンクラー工事のため休館していた東亜図書館は「一昨年(23年)の暮れには再開するだろう」と聞いていたのだが、別の修繕個所が見つかり、いつ工事が再開するかは不明だった。幸い書籍は別の所に移されており、借り入れすることに支障はなかった。私が調査したいと思っていた書簡や書籍も、東亜図書館に近い「Butler Library」に運んでもらい、作業を進めることができた。しかし今回是非調査してみたいと考えていた父の寄贈資料リストにはない、かなりの量の手帳と、ダンボール二つ分はあるという書類については、「現在は取り出すことのできない場所に保管されている」との返答で、今回は見ることさえできなかった。

 もう一つは、大学側のセキュリティが従来とは比較にならない程厳しくなったことだった。昨年春の反ユダヤ主義の抗議運動に対する大学側の「ニューヨーク市警介入要請」に端を発したものとみられ、以前の自由さはなくなり、私たち部外者は前もって許可を得なければならなくなった。今回は一週間前に図書館への申請を終わらせ、訪問前日にメールで本人確認用のQRコードが送られてきた。それをパスポートとともに、大学正門で提示して、ようやくキャンパスに入ることができた。さらに図書館と調査部屋に入館・入室する際にも同じような関門が続いた。学生や教職員もチェックを経て、キャンパスに立ち入ることができるという厳重さだった。

コロンビア大学

 さすがに父の教え子たちも「こんなことになって恥ずかしい」と本気で嘆いていた。その上、トランプ政権に替わってから様々な手続きまでが煩雑になり、余計に時間がかかるようになったそうだ。自由の象徴であるはずの大学が閉鎖的にならざるを得ない異常事態──いまだに戦争の絶えない世界の現実を、徹底した平和主義者であったドナルド・キーンは天上からどのように見ているだろうか。(つづく)

【略歴】
キーン 誠己(きーん・せいき) 浄瑠璃三味線奏者、一般社団法人ドナルド・キーン記念財団代表理事
1950年、新潟県旧巻町(現・新潟市西蒲区)で、老舗造り酒屋「上原酒造(現・越後鶴亀)」の次男として生まれる。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、人形浄瑠璃文楽座入りし、五代目鶴澤淺造つるざわあさぞうを襲名。コロンビア大学名誉教授で日本学士院客員、文化勲章受章者のドナルド・キーン博士が2012年に日本国籍を取得したのを機に養子縁組し、旧姓の「上原」から「キーン」に改姓。晩年まで身の回りの世話をするとともに、1963年に大英博物館で発見された江戸時代初期の「幻」の古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記こうちほういんごでんき』の300年ぶりに復活上演、ロンドン公演などを果たした。古浄瑠璃を弾き語りする際の芸名・越後角太夫えちごかくたゆうはキーン博士が命名した。2020年5月に設立した記念財団の代表理事として、博士の業績顕彰をはじめ、遺された書籍・原稿・書簡の整理など調査研究に取り組む。キーン博士との共著として『黄犬キーンダイアリー』(平凡社)がある。ドナルド・キーン記念財団のホームページでは、キーン博士の年譜をはじめ、さまざまな催し告知や誠己氏のエッセイなどを読むことができる。

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