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コラム「グローバル・アイ」  
第4回 バルフォア宣言107年 
西川 恵 

エルサレムの街並み

コラム

 今日のパレスチナ紛争のルーツは英国の二枚舌外交にあるといわれる。ユダヤ人にもパレスチナ人にも国家を約束したバルフォア宣言だ。11月2日はその宣言から今年で107年となる。

 1917年、欧州から中東にかけて第一次大戦がし烈を極めていた。英国の戦時内閣はこの年の10月、閣議で「英政府はユダヤ人がパレスチナの地に民族的故郷を建設できるよう最大限の努力を払う」という提案を採択した。11月2日、これはバルフォア外相の書簡の形で英シオニスト連盟会長ロスチャイルド卿に伝えられた。バルフォア宣言である。

 英政府としてはユダヤ人を味方につけて、パレスチナでのオスマン帝国との戦争を有利に進め、また欧州でユダヤ資本の協力を取り付ける狙いもあった。一方で英国はアラブ人にも国家独立を約束し、協力を取り付けていた。

 余り知られていないことだが、日本政府もバルフォア宣言に支持を表明した。私はこれを知り合いの元駐伊大使の英(はなぶさ)正道氏から聞いて知った。

 英氏は駐ニューヨーク総領事だった80年代末、ユダヤ人団体と時折、意見交換の場をもっていた。ある日の会合で英氏は「日本は中東問題で手を汚していない」との趣旨の話をした。日本は中東地域を植民地にしたこともないし、イスラエル、パレスチナの一方だけに肩入れしたこともない、と。

 それからしばらくして、英氏にユダヤ人団体の幹部から連絡があり、「イスラエルにある建国に絡む資料によると、当時、日本政府はバルフォア宣言に支持を表明しています」と伝えられた。日本が一方に肩入れしたことはないというのは事実ではないとの指摘だ。

 それによると宣言が出て間もなく、上海にあるユダヤ人団体の国際組織の支部に、日本政府から正式な支持表明があったという。自分たち民族の歴史資料の収集・保存では徹底しているユダヤ人だから間違いないだろう。

 日本がバルフォア宣言を支持したのは、当時の日英同盟抜きには語れない。1917年2月、英政府は日英同盟に基づき日本政府に軍艦を地中海に派遣するよう要請し、日本は応えている。翌18年4月には、日英の陸戦隊がシベリア出兵の一環でウラジオストクに上陸した。英国と政治・軍事的に緊密な協力関係にある日本として、宣言を支持しない理由はなかった。

 英国のために弁護するならば、バルフォア宣言は後半部分でパレスチナ人の人権についても触れている。「これ(宣言)は、パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利……を害するものではないことが明白に了解されるものとする」と。つまりユダヤ人がパレスチナの地に民族的故郷を建設するのは、非ユダヤ人(パレスチナ人などアラブ人)の権利を害さないことを「明白」な前提とするという但し書きだ。

 第二次大戦後、国連による分割決議を得て、1948年にイスラエル国家が建国された。しかし宣言の後半部分が顧みられることはなかった。

 暴走するイスラエルのネタニヤフ政権はどこに行こうとしているのか。ガザ地区の武装組織ハマスをはじめ、周辺国内の武装組織と戦闘、戦線を拡大し、この稿を書いている時点でイランへの報復攻撃も明言している。武力に勝る同政権は「いまが叩きどころ。この機会に徹底的に打ちのめす」と嵩(かさ)にかかっている。バルフォア宣言は歴史の彼方だ。

 しかし時の流れが歴史をかき消しても、道義的な問題がイスラエル、そしてユダヤ人に問いかけられ続けている。世界に散らばったユダヤ人は歴史の中でさまざまな迫害を受け、ついにはナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を体験した。迫害の苦しみを知る民族がなぜ他の民族を迫害するのか。なぜそのことに想像力が及ばないのか。パレスチナ問題が存在する限り、この問いかけが消えることはない。

【略歴】
西川 恵(にしかわ・めぐみ)
1947年生まれ。毎日新聞客員編集委員。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員。フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。日本交通文化協会常任理事。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)など。

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