グローバル・アイ
西川 恵(ジャーナリスト)

星条旗を振る愛国者
第9回 ポストモダニズムとトランプ政権
戦後のある時期まで、歴史や社会の発展についての認識は、単線的な進歩史観が支配的だった。歴史は原始的な段階から近代に向かって進歩・発展するプロセスであると考えられていた。
これを覆したのがフランスの文化人類学者クロード・レビストロース氏(1908~2009年)だった。同氏はブラジルの未開の原住民の調査を行い、社会にはそれぞれ編成と構造の違いがあるだけで、未開の社会にも豊かな精神と理性の世界があること、西欧だけが文明の中心ではないことなど、総合的な思想にまとめた。
これが構造主義の思想だ。進歩史観の時代をモダニズムとすると、構造主義がポストモダニズムの思想といわれるゆえんだ。この構造主義はモダニズム思想のマルクス主義に大きな一撃となり、価値の相対化と多様化に道を開き、共産主義体制の土台を掘り崩していった。その後、共産主義が崩壊して冷戦が終結すると、ポストモダニズムの潮流に拍車がかかっていった。これに伴い多文化主義の重要性が繰り返し提唱されるようになったのも故なきことではない。
いま我々はモダニズムとポストモダニズムが混在し、せめぎ合う世界にいる。米欧や日本などポストモダニズムにつかった先進国、マルクス主義を依然、国の思想基盤とするモダニズムの中にある中国。その中間にはポストモダニズムへ移行中の国々がある。
ただこれは図式的に描写しただけで、コトはそんな単純ではない。なぜなら先進国の国内においてもポストモダニズムとモダニズムの二つの政治・社会・文化潮流がせめぎ合っているからで、それが大きな振れ幅の政策となって最近現れているのが米国である。

トランプ氏の標語MAGAをあしらった帽子
2025年1月20日、大統領に就任したトランプ氏は、DEI(多様性、公平性、包括性)政策を定めたバイデン前大統領の命令を撤廃する大統領令に就任初日に署名した。翌日、連邦政府はDEI関連の業務にあたる職員に行政休暇を取得させると通知。関連部署やウェブサイトは閉鎖された。さらに「リベラルに偏向している」と見る大学に対する助成金の凍結・取り消し措置にも踏み切った。
米保守派はこれまでもDEIやウォーク(woke、正義に目覚めた人)運動、また人種や性別、宗教、障害などへの差別的な表現や制度を排除しようというポリティカルコレクトネス(PC、政治的正しさ)に対して苛立ちを隠さず、「逆差別」「偽善」と批判してきた。マイノリティー尊重の名の下に、白人が不当に扱われており、民主党の左派や進歩派がこれを推し進めていると反発してきた。
ただこれは保守派と左派の政策上の対立にとどまらず、保守派の実存的な危機感と密接に絡んでいることも押さえておく必要がある。どういうことか。
価値の多様化と相対化と平準化が行き過ぎると、価値の乱立・細分化・陳腐化を招き、ひいては没価値の虚無的な空気と混乱を社会に醸成していく。これは自分たちがこれまで拠って立ってきたあるべき権威や社会秩序や価値序列を土台から掘り崩すことになり兼ねない――こうした保守派の深いところでの危機感がある。
イタリアのメローニ首相がトランプ大統領との会談のため4月17日訪米した。冒頭の記者団を入れた顔合わせで、メローニ氏は「我々はともに戦うべき課題がある」と切り出し、「ウォーク、DEIのイデオロギーとの戦いだ。不法移民や合成麻薬との戦いも多くの共通点がある」と述べた。
守るべき社会秩序や価値秩序を多様性の尊重の名の下に壊すのを許してはならない。保守には保守の守るべき価値がある。メローニ氏の言葉を敷衍すればこういうことだろう。米国はその国柄、先進国の中でもポストモダニズムの潮流が最も先行しており、それが故に対立が激しく表出している。しかしそれを追いかける欧州、そして夫婦別姓、同性カップルの結婚などをめぐる対立を抱える日本も決して他人事ではないのである。

西川 恵(にしかわ・めぐみ) ジャーナリスト、毎日新聞客員編集委員
1947年生まれ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員を歴任。フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。日本交通文化協会常任理事。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)など。