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 コラム 論壇透かし読み 鈴木英生
 第2回 79年目に想う「空気」と戦争

コラム

鈴木英生(毎日新聞専門記者)
 <仮に「この方向性はダメだろう」と多くの人が感じていたとしても、それに代わる具体的なプランや明るい展望がない>。おかげで、ずるずるべったりと組織が悪い方向へ転落してゆく。近年の日本でも政党や企業で繰り返される事態だが、ここで指摘されているのは79年前に終わった戦争の話。『中央公論』9月号の座談会での、佐々木雄一・明治学院大准教授の指摘である。

 第二次大戦モノの映画などでは、スターリンやヒトラーが作戦地図を前に指示を出し、鶴の一声で戦況の転換する場面が描かれる。日本の「独裁者」、東条英機は? 首相に内相(開戦後辞任)、陸相などを同時に務め、後に陸軍参謀総長まで兼任した東条は、スターリンら同様の絶対的権力者だったと、一般には思われがちだろう。

 が、戸部良一防衛大名誉教授は、この『中央公論』の特集で、東条への権力集中がチャーチルやルーズベルトと比べさえ限定的だったと指摘する。かつ、東条は<有能かつ練達な軍事官僚>ではあったが、<ちつとも政治家ではない>と自らを語るような人物だ。つまり、官僚的な事務処理能力は抜群だが、政治家に必要なビジョンも、それを内外に強く訴える発想も希薄だった。

 危機の時代には、リーダーの指導力や有能さも万能ではないだろう。が、少なくとも東条の場合、制度的にも資質的にも、そうしたリーダーの条件さえ持ち合わせていなかった。

 そんな東条首相は、海軍に<対米戦に勝つ自信はない>と言わせることで、開戦を回避しようとした。ところが、東条内閣の海相、嶋田繁太郎は、政府と軍指導部の会議の<数日来の空気>から、対米開戦の方向性は簡単に変えられないと部下にこぼしていた(同、手嶋泰伸龍谷大准教授)。どの個人にも帰さない「空気」が、国家の命運を左右した。

 「空気」といえば、評論家、山本七平の議論を思い出さずにいられない。1970年代に、「空気」に流される日本社会の問題性を指摘した(『「空気」の研究』)。

 戦前の「天皇陛下万歳」「鬼畜米英」から戦後の「マッカーサー万歳」「民主主義万歳」へ国民が豹変したのも、いったん絶対的な「空気」ができてしまえば、皆が同調するから。いわば、「空気」こそが日本の真のリーダーである。

 佐伯啓思京都大名誉教授は、山本の脳裏にあった人間像が<大きな体制を所与として、自分の小さな幸せや利益を求める人びと>だったと推測する。<たしかに人は、飯を食って、損得勘定をしながら生きるものであろう>(『Voice』9月号)。

 哲学者の鶴見俊輔が敗戦翌年に書いた、「言葉のお守り的使用法について」も連想させられた。鶴見は、権力者が正統とする価値体系の言葉を、人々が<特に自分の社会的・政治的立場をまもるために>、意味もよくわからず使う習慣を論じていた。

 戦前ならば「国体」や「皇道」、戦後は「民主」「自由」。いずれも意味がよく吟味されずに使われる点で変わりないと、鶴見は否定的に捉えた。

 佐伯氏も、山本や鶴見が指摘したような現象に批判的である。

 ただし、佐伯氏は説く。日本には古来不変の信仰心や共同体意識がある。<霊魂や祖霊、死者、自然>。それらへの深い信頼が根づいている。私たちには、容易に揺らがない「根源感情」がある。だから、「天皇」でも「民主主義」でも戴くものを臨機応変に変えられるのではないか。佐伯氏は、この「空気」では揺らがない「根源感情」の分厚さに信を置く。今こそ、日本の「根源感情」の重要性を積極的に世界へ発信していくべきだと考える。いわば、限界を迎えつつある欧米主導の国際秩序や価値観のオルタナティブとしての意義を「根源感情」に期待しているようだ。

 佐伯説の是非は論じない。ただ、金子光晴の詩を連想させられた。日本の自然と文化の美しさとはかなさ、いわば「根源感情」を描いた先で、金子はこうつづる。<遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。(略)寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、母や妻をふりすててまで出発したのだ。(略)風にそよぐ民くさになって。/誰も彼も、区別はない。死ねばいいと教えられたのだ。>(「寂しさの歌」)。1945年5月の作。「民くさ」に「死ねばいい」と教えたのは、「空気」か「根源感情」か。

【略歴】
鈴木英生(すずき・ひでお)
 1975年生まれ。毎日新聞青森・仙台両支局などを経て現職。学芸部で長く論壇を担当し、「中島岳志的アジア対談」など連載を元に書籍複数。

鈴木英生

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